本収支の中身(直接投資なのか、証券投資なのか、資金貸借か、短期か長期か、どの地域か)を検討することになるが、それは各国(地域)の経済・金融の状態、各国の為替に対する政策(固定相場か変動相場か、積極的に為替の安定を図っているか、放置しているか等)、国際資本移動の制限の度合い、等により多様な日本は一四・一兆円の経常黒字に対して、投資収支がマイナス八・一兆円、誤差脱漏はほとんどゼロであった。
こうした中で外貨準備がマイナス五・八兆円となっていることは、通貨当局が積極的に外貨(ここではドル)買い介入を行って、円の上昇を抑えようとしたことがわかる。
日本の場合は資本移動規制が極めて弱いため、投資収支の項目は経常収支に比べて、かなり大きな金額となっている。
ユーロ圏は五四五億ユーロの経常黒字に対して、投資収支が六三六億ユ−ロのマイナスとなっており、資本移動が極めて活発に動いていることがわかる。
これに対し、外貨準備はニ二億ユーロとほぼ無視できる小幅なマイナスとなっており、日本とは対照的にユ−ロ圏の通貨当局は為替介入をせず、ユーロの為替レ−トを放置したことがわかる。
対象を主要通貨に絞るか、途上国通貨を含めるかによって若干の違いはあるが、米レーガン政権発足後の八〇年代前ル高是正を打ち出したプラザ合意後の急前半はドルの一時的反発の後、ドル安がこの時期のドル安は日本側から見ると九一年後半〜九五年前半に一ドル一四O円前後から一時八O円を切る水準へと約四割の「超円高」が進行したが、ドルと対欧州通貨の為替レートの動きは限定的であったため、加重平均したドル指数のこれに対し、九五年半ばから二OO四年の動きは八〇年代に見られた大変動に次ぐ大きな変化になりつつある。
以下では、前節で述べた国際収支統計の分析フレームワークを援用しつつ、九〇年代後半のドル高の背景にあった資本移動を確認し、その後のドル安に転ずる中で、どのような変化が起こったのかを見てみたい。
二OO二年以降のドル安は、秩序あるものと言えるのだろうか。
金融市場の柔軟性の増大と資本移動の拡大、さらに米国が「特別な国」であることなどを背景にして海外資本は円滑に米国に流入してきたのだろうか。
それとも、先のドル高期に蓄積された歪み(米国の対外純債務の巨大化や、世界中の投資家のポ−トフォリオにおけるドル建て資産の過剰など)を受けて、国際投資家がドル資産を回避し始める兆候が見えつつあるのだろうか。
一九九五〜二OO一年は九八年の一時的調整をはさんで経常赤字の拡大にもかかわらず、全体としてはドル高が進行した。
なお記憶に新しいと思うが、この時期はクリントン政権の第二期にあたり、九五年一月にベンツェン氏と交代したウォ〜ルストリート出身のル−ピン財務長官が、「強いドル」を背景に米国主導の「金融グロ−パリズム」を推し進めた時期にほぼ重なっている(ルでしばしばル−ピノミックスと呼ばれる)。
その下で、金融政策を緩和した日欧から米国を経由してエマージング諸国へと向かう資本移動が増大した。
九七年後半から九八年にかけてアジア・ロシアの通貨危機とそれに伴うピタル・マネジメント)の破綻などが発生、行き場を失った資金が、米国への一極集中的傾向を強め、ドルと米国株のさらなる上昇につながっていった。
実際のデ1タを見てみよう。
九五〜九七年には(図表118、)債券投資を通じて一OOO億〜一七OO億ドルと経常赤字に匹敵ないしは上回る資本が米国に流入した。
一方で、株式や銀行部門経由では資本流出が目立つ。
米国を中心に主要地域との資本移動を整理すると図中数億(億ドル‘プラスは対米資本1〜一→ 米国へ資金流入、マイナスは流出アジ字.アフリカ‘~中南米アジア.アフリカ中南米9)、その背景が浮かび上がってくる。
九七年の場合、日本から五七八億ドル、欧州から二四一六億ドルという巨額の資本が米国に流入する一方、米国からアジア、中南米向けに資本流出となる形が明瞭であった。
この時期には「超円高」のデフレ効果をやわらげるため、日銀は九五年七月以降、公定歩合を下回る水準で市中の短期金利が推移することを容認、超低金利政策に転換した。
欧州も九九年からの通貨統合開始を目指して九六年以降財政緊縮色が強まり、景気が減速する中で金融緩和策がとられた。
日本の景気・金融システム、欧州の通貨統合そのものの先行き不透明といった日欧のリスクファクターと相まって、日欧から米国へ経常赤字を上回る規模で米債券に資金が琉入し、ドル高につながった。
米債券利回りの低位安定の一因となった。
すると今度は米国からアジアやラテンアメリカなど米国よりも金利が高く、自国通貨をドルとリンクしている(為替レ〜トを固定しているか、極めて小さな変動に抑えている)エマージング経済へ資金が循環して行ったのである。
ように銀行や誤差脱漏を通じた資本流出もかなりの規模になっている(九六年は銀行部門の資本流出が七五一億ドル、九七年は「誤差脱漏」のマイナス幅が八四三億ドル)。
中南米カリプ海のタックスへプンに登記上の本拠地を置くヘッジファンドが米銀からドルを借り入れて(したがって米国から銀行経由での中南米への資本流出となる)、高利のエマージング諸国債に投資する動きを活発化させていたことを反映している。
その中には、ドル借り入れとともに、円やマルクなど低金利通貨を先物市場で売っていたものが多かった。
円やマルクを借り入れ、ドルに転換してから投資するのと最終的に同じである。
対円、対マルクでドル高が続くとの予想に賭けて(逆にいえば為替の予想がはずれて損をするリスクをとっていてより大きな金利差を手に入れようという取引で、グローバルキャリートレードと呼ばれている。
日欧の低利資金のー流入を背景に、米国が投機性の高い資金をエマージング諸国に仲介していた様子がうかがえる。
九七年後半から九八年にかけ、アジア・ロシア通貨危機が発生し、多くのヘッジファンドが損失を出し資産縮小を余儀なくされた。
そのため、九七年前半までの流れを逆転させる、エマージングから米国、米国から日欧への資本移動が一時的に強まった資本流入になっているのは、ヘッジファンド経由でエマージング諸国に流出していた資本が米国に逆流したことを示していると考えられる。
エマージング諸国の通貨危機はこれら諸国の景気悪化のみならず、ITCM救済に見られるように米国の金融システムも動揺させた。
その結果、日欧に続いて米国も九八年後半に二度の利下げに踏み切るなど金融援和を強化した。
エマージング通貨危機の発生は、米国琉の金融グロ−パリズムへの批判を巻き起こした。
皮肉なことにITCM危機の波紋が一巡すると、国際資本移動は米国一極集中型の様相を強めることになった。
図表118の、に見るように九九年以降、海外から米国への株式・社債投資は急増している。
特に二OOO年についてみると、株式を通じたネットの資本流入が八五八億ドルになったのに加えて、株式取得を通じた企業買収が急増したことを受けて、直接投資が二ハ一二億ドルもの流入となっている。
両者を合わせると、二五OO億ドルとニOOO年の経常赤字(四一三五億ドル)の六割以上をファイナンスしていた。
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